広島ハワイ文化交流プロジェクト2022夏渡航レポート

9月4日(日)

広島空港にて 出発前に集合写真を撮りました。
いよいよハワイに向けて出発です。

コロナ禍の2年間、この日がくることを信じて活動を続けてきました。
今回の渡航の目的は、交流活動を通して関係が希薄になってしまった現地の方々とのつながりを再び築くことです。

渡航することができなかった先輩たちの想いも背負って、10日間有意義な活動ができるように、精一杯頑張ります。
いってきます!

(リーダー 戸﨑 圭大)

9月5日(月)

おはようございます。
ハワイは今、5日の朝8時半です。
昨日夕方、無事、ハワイ島コナの「マナゴホテル」に到着しました。
学生たちはみな眠たそうですが、元気です。

昨夜はこのホテルの名物ポークチョップを食べて英気を養いました。

今日は、アメリカでは「労働者の日」という祝日ですので学校訪問はなく、明治の昔に日本から来た移民の方々が働いたグリーンウェル・コーヒー農園を見学したあと、日系人のご家庭を訪問します。
学生は日系人の方と英語での会話にトライします。
明日からも学生に有益ものになるような活動にしたいと思います。


一つ困っているのは物価の高さです。
インフレの上に円安が重なって、なんでも高く、特に食費が嵩みます。
朝食は前日にスーパーでパンを買ったりしています。
しかしせっかく来たのですから、ロコモコなどハワイ名物を食べて、楽しい思い出を作らせてあげようと思っています。

(コーディネーター 田中 泉)

「グリーンウェル・コーヒー・ファーム」見学

本日の活動報告です。

午前中は「グリーンウェル・コーヒー・ファーム」を見学しました。

グリーンウェル・コーヒー・ファームでは、世界三大コーヒーの一つに数えられているコナコーヒーが栽培されています。
農場の日本人ガイドの方から、農園の歴史、コーヒー豆の栽培から加工までの説明を受け、コーヒーのテイスティングもさせていただきました。

今回のグリーンウェル・ファームは日系人の方の農場ではありませんでしたが、コナコーヒーと日系移民には実は深いつながりがあります。
ハワイ州観光局が運営しているサイトに詳しく掲載されているので、ぜひ見てみてください。

https://www.aloha-program.com/curriculum/lecture/detail/467

日系人の佐々木キャロルさん宅訪問

午後は日系人の佐々木キャロルさん宅を訪問させていただきました。

(前列右から2番目が佐々木さん)
(キャロルさんが編んだラウハラ細工が並べられていた)

佐々木キャロルさんは日系3世にあたり、彼女の祖父が広島からハワイに渡ってきたそうです。
佐々木さんの祖父と父はサトウキビ畑で働いていましたが、サトウキビ産業が衰退したことにより、佐々木さんの父親は「ハラの木」のラウ(葉)を編んだハワイの伝統工芸である「ラウハラ細工」の帽子やカバンなどをつくり、販売していたとのことでした。
幼いころの佐々木さんも一緒に手伝っていたそうです。

小さな部屋の中には、移民当時使われていた道具や思い出の品々など、貴重な資料が所狭しと並んでいました。

(左から2番目が佐々木さん)

壁の写真を指差しながら、「小さい頃は貧しかったが、それでも幸せだった。Happiness No.1!」という佐々木さんの言葉が印象的でした。

今まで日系移民全体の歴史について触れることが多かった私たちは、今回の訪問で、移民個人のストーリーをもっと調査すべきだと感じました。
我々がこれまで学んできたのは「たくさん苦労しながら、徐々に社会に認められ、地位を築いてきた」という移民の歴史の表面的な部分でした。
今回の訪問で、移民した人々には個々の理由があり、家族があり、生活があり、苦労したことや幸せだった出来事があることに改めて気が付かされました。さらには、その子孫の人々にもそれぞれの人生と想いがあります。移民の歴史と一括りにするのではなく、一人ひとりのストーリーをきちんと紐解くからこそ、これからグローバルな社会で生きていく私たち若い世代にとっての気づきや学び、参考につながるのではないかと思いました。
現地の日系人やその子孫の方々のもとを訪れ、これまで知られていなかった歴史を調査し、人々に伝えていく必要があると感じました。

お話を伺った後に2階に上がると、コナ広島県人会のクラウディア・チャン会長(手前の女性)をはじめ佐々木さんの息子(奥に立っている男性)さんやお孫さんなどたくさんの方々が、大変なごちそうを用意して待ってくれていました。
軽食を用意してくださっていると聞かされていた私たちは非常に驚きました。

豚肉を蒸し焼きにした「カルーアポーク」をキャベツで炒めた「カルーアポークキャベツ(写真右)」や「スパムむすび」(写真左)など、ハワイの伝統料理を楽しみながら、とても楽しい時間を過ごしました。

私たちの訪問をこんなにも歓迎していただき、感謝で胸がいっぱいになりました。

日系人の方々は、顔は日本人に見えますが日本語を話すことができないので、会話は英語で行います。
私は英語に自信がないため、翻訳アプリを利用したり、とりあえず笑顔で話を聞きながらなんとか意味を理解しようとしたりしていました。
そんな私を見ていたある方から、「日本人はシャイだから自分から英語を話そうとしない。そんなんじゃいつまでたっても話せるようにならないぞ」と言われてしまいました。
…図星でした。
そんな自分が情けなくて、見抜かれていることが悔しくて、なんともいえない表情を浮かべることしかできませんでした。

今回の渡航中は、つたなくてもブサイクでもいいので「積極的に英語でコミュニケーションを取る!」とここに宣言をします。

今日の一枚

コーヒー・ファームで見つけたカメレオン、かわいかったです。

(リーダー 戸﨑 圭大)

9月6日(火)

午前中は「ブラックサンドビーチ」と「キラウエア火山」の見学に行きました。

ブラックサンドビーチ

ブラックサンドビーチはウミガメの生息地になっており、私たちもウミガメを見ることができました。

ビーチには、「ウミガメにはさわらないように」という看板がありました。英語だけでなく日本語でも書かれていました。
これは昔、日本人がウミガメを触っていたことから立てられたと教えてもらい、複雑な気持ちになりました。

ハワイ語ではウミガメを「ホヌ」といい、神聖な生き物として昔から大切にされています。
「郷に入れば郷に従え」、現地の文化や風習をきちんと理解し尊重することが、ボーダーレス化した時代において信頼関係を築くためには大切だということを改めて感じました。

キラウエア火山

その後、キラウエア火山の「ハレマウマウ・クレーター」に行きました。
ハレマウマウ・クレーターは、熊本の阿蘇カルデラや富士山、桜島などといった日本の火山とは様子が違い、広大な黒い溶岩の大地が果てしなく続いており、付近に民家やお店などは見当たりませんでした。
このクレーターは「キラウエア・カルデラ」の中でも最も活動しているもので、直径900m・深さ85mもあり、火口からは常に水蒸気が噴き上がっています。最近では2008年に噴火が起こったそうです。
普段見ることがない大自然の圧倒的なスケールに感動しました。

ハワイでの食事

昼食は、日系人の方が始めた「cafe100」というハワイの伝統ローカルフード「ロコモコ」を味わえるお店に行きました。
店内には、創業者のリチャード宮城さんの写真が飾られています。
リチャード宮城さんは、第二次世界大戦時に日系アメリカ人二世兵士を中心に編成された「第100歩兵大隊」に所属していたそうです。
この第100歩兵大隊を含む「第442連隊」は、当初は日系人ということから信頼されていなかったにもかかわらず、ヨーロッパ戦線で勇敢に戦い大きな戦果をあげることによって、終戦後には「大統領部隊感状」を始めとする多くの表彰を受けるなど、米軍の歴史にその名を刻んでいます。
店名の「100」はこの部隊名からつけられていると、コーディネーターの田中先生から教えていただきました。

夕食は、コナにある大人気日本食レストラン「日本料理 てしま」でいただきました。
「サイミン」というローカルフードを食べたのですが、これはラーメンを恋しく思った日本人移民と中国人移民が協力して作ったとされる食べ物だそうです。
味はラーメンと言うよりうどんに近く、出汁の味をほのかに感じました。

明日はハワイの生徒・学生たちとの交流が本格的に始まるので頑張りたいと思います。

今日の1枚

スカして写真を撮ってみました。
キラウエア火山は標高が高い(1,247 m)のでとても涼しいです。
写真のように、上着を着てから行った方が良いですよ。

(リーダー 戸﨑 圭大)

9月7日(水)

「コナワエナ中学校」訪問

今日は、「コナワエナ中学校」を訪問しました。

まず、朝の校内放送を使って、メンバー全員が自己紹介をさせていただきました。
英語での自己紹介は緊張しましたが、事前に準備をしっかりしたことで、何とか乗り切ることができました。

その後、1時間目から3時間目まで、3クラスの中学生と交流をしました。

今回のハワイの生徒との交流のメインであるプレゼンテーションのテーマは、
「広島に興味をもってもらうこと」です。

内容は「日本語での自己紹介」「広島の魅力についてのグループワーク(魅力を紹介した後にクイズゲームを行う)」「日本語レッスン(味覚を表現する言葉を教えて、実際に日本の駄菓子を食べてもらい、表現してもらう)」の3つです。

1時間目は中学1年生と交流をしました。
初めてのことでみんな緊張していましたが、生徒たちがクイズや日本語での表現に積極的に取り組んでくれたことに救われ、なんとか乗り越えることができました。

その後の休憩時間に校内を歩き、生徒たちとバスケットボールを楽しんだりしました。

2時間目は2年生のクラスと交流をしました。
この授業では1時間目の授業で時間配分がうまく出来ていなかったと言う反省を踏まえてプレゼンテーションに臨みました。この授業でも生徒たちは積極的に取り組んでくれました。

授業の最後に、リーダーの戸崎が「フラダンスを見たい」とお願いしたところ、フラダンス教室でダンスを習っている1人の女子生徒とハワイ史を扱う先生がフラダンスを披露してくださいました。生でフラダンスを踊る姿を見るのは初めてでしたが、1つひとつの動作が美しくなめらかで、とても感動しました。また、フラダンスには流派があり、流派が違えば踊りの種類も細かく変わるとのことで、実際に2人のダンスは異なっており、その比較も勉強になりました。

3時間目は3年生のクラスでした。私たちが慣れてきたことに加えて、生徒たちみんなが日本に対して興味を持っていたことから、3時間のうちで一番授業をスムーズに進行できたと思います。

授業中に、隣の教室で音楽の授業をしていた別のクラスの生徒たちが入ってきてウクレレの演奏を披露してくれ、フラダンスのエッセンスを取り入れたオリジナルダンスを一緒に踊ることになりました。この嬉しいサプライズで、生徒たちとの心の距離を一気に縮めることができました。
全員で踊ったため、写真がないのが残念です。

その後は、私たち大学生にとっては久しぶりの「給食」を、カフェテリア(学食)で生徒たちと一緒に食べさせてもらいました。
生徒たちと日本の学校給食との違いについて話しながら食べることで、互いの文化を感じながら関係を深めることができたと思います。

最後はコナワエナ中学校の先生に学校見学ツアーに連れて行っていただき、訪問を終えました。

初の交流活動ということもあり、みんな緊張気味で始まりましたが、時間が進むにつれてなかなか良いコミュニケーションが取れたと思います。
反省点もありましたが、良い点もたくさんあったので、次回に生かします!

(川口 大智)

9月8日(木)

「ヒロハイスクール」高校生との交流

今日は「ヒロハイスクール」の高校生との交流です。
今回のプレゼンテーションのテーマも昨日と同じく「広島に興味を持ってもらうこと」です。

昨日は中学生に対してのプレゼンテーションで、高校生は初めてだったので盛り上がるかどうか心配でしたが、思った以上にリアクションが良くて安心しました。

日本のアニメに関するクイズや日本の駄菓子を実際に食べてもらい、「うまい」「まずい」など味覚を表す日本語を覚えてもらうアクティビティを取り入れることによって、生徒たちもこちらのプレゼンテーションに注目してくれました。

反省点は、プレゼンテーションの完成がギリギリだったため、英語がぐちゃぐちゃになってしまったことです。
ヒロハイスクールのシハタ・彩先生から「英語の文がおかしい」と注意され、生徒の理解のためにフォローも入れていただきました。
改めて、現地の先生とのミーティングによる最終チェック、プレゼンテーションのリハーサルが大切だと痛感しました。

他には日本語の文にはふりがなをつけること、難しい内容は英文、簡単な内容は日本語が分かりやすいことなど、当たり前だけどできていなかったことに気づかされました。

ヒロ本願寺別院

その後「ヒロ本願寺別院」を訪問しました。
私たちのためにお経を唱えてくださった輪番の高橋和法さんに、ヒロ本願寺別院の歴史やどんな人が利用するのかなど、色々なお話をお聞きしました。

(外観)
(内装)

建物は独特で、外観はインドの寺院の様な形であり、周囲の景観になじむ様になっていました。
内装はキリスト教の教会にそっくりです。

しかし、建物内の正面は金箔をはった仏壇があり、広島でよく見られる浄土真宗の作りでした。

この寺院が作られたのは、浄土真宗信者が多い広島の移民からの子孫が増えたことが理由であり、日本の文化を恋しく思う方々によって建立されたそうです。

現在は、毎週日曜日にお経を上げておられるそうですが、浄土真宗である日系人だけではなく地域の方々も集まり、一緒にお祈りをされているそうです。
当初の想いを超えた地域全体の憩いの場になっているのは、日系人の方々と地域の方々が長い年月をかけて良好な関係を築いてこられたからこそだと感じました。
とても素敵な場所だと思いました。

日本人墓地「アロエ墓地」

最後に、ヒロの町外れにある日本人墓地「アロエ墓地」を訪れました。

日本のお墓と同じ形の墓石が並び、日本語で苗字と名前、年齢が刻まれていました。
その中には、生まれてすぐに亡くなられた方の名前も数多くありました。
過酷だった当時の環境を想像して胸が苦しくなりましたが、同時にきちんと名前を刻み家族として忘れないように大切にしていた移民の方々の優しさや温かさを感じました。

無縁仏になってしまっているお墓については、地域住民の方々が手入れをしてくださっているそうです。
これは、第2次世界大戦時の日系人部隊である「第100歩兵大隊」「第442連隊」の活躍や、普段の真面目で誠実な暮らしぶりなどから、日系人が尊敬され受入れられていたからこそだそうです。

ヒロ本願寺別院とアロエ墓地を訪れて感じたのは、移民として日本からハワイに移住された方々は、異国の地で大変な努力と苦労の末に確固たる地位を築きながらも、いつまでも日本を懐かしみ日本人として誇り高く生きていたということです。
そして、二世三世と続く日系人の方々が地域の方々と良好な関係を築いてきた歴史を感じることができました。
こういったことこそ、私たちは伝えていかなければならないと感じました。

(重高 剣詞朗)

9月9日(金)

「ワイケアハイスクール」との交流

今日は「ワイケアハイスクール」と交流しました。
コナワイナ中学校やヒロハイスクールと違い、テーブルにカタカナとひらがなの五十音表が貼ってありました。
そのため日本語を理解している生徒が多く驚きました。
私たちのプレゼンテーションに対するリアクションもとてもよく、有意義な交流ができました。

ハワイ日本文化センター

午後は、東ハワイ広島県人会の前会長であるゴヤ(呉屋)さんのもとを訪問し、「ハワイ日本文化センター」を案内していただきました。

ここは移民の歴史と文化的遺産に関する資料がきれいにまとめられており「一世がハワイに渡った経緯」「ハワイでの暮らし」「一世から二世への生活の変化」など、広島にいては知り得ない歴史を詳しく学ぶことができました。
なかでも、労働者という立場からハワイで地位を築き時代を作っていく流れが深く印象に残りました。

広島県人会のみなさんは日本語を話すことはできませんが、日本という同じルーツを持つ私たちをとても歓迎してくださり、ピザパーティーでもてなしをしてくださいました。
とても楽しい時間を過ごすことができました。

(山城 亮和)

9月10日(土)

この日は、ヒロからホノルルへの移動日でした。
フライトは午後ということで、午前中は「ワイルク・リバー」と「ヒロファーマーズマーケット」に行きました。

(ワイルク・リバー)
(ヒロファーマーズマーケット)

ヒロファーマーズマーケットはいわゆるフリーマーケットであり、東南アジアの市場のような雰囲気でした。
野菜やフルーツなどの食べ物から、ハンドメイドのブレスレットやウミガメの置物など商品は様々であり、地元民や観光客で賑わっていました。

13:25にヒロ空港からホノルルに向け飛び立ち、およそ50分で到着しました。
ホノルルはハワイ島とは違いとても都会でした。
送迎バスに乗り込みワイキキのホテルへ到着した後、「アラモアナショッピングセンター」へ夕食を求めて向かいました。

ハワイの伝統料理

夕食はハワイの伝統料理である「ポイ」と「ラウラウ」に挑戦しました。

写真の真ん中にある丸い容器に入っているポイはタロイモの球茎から作られ、粘性があり独特な匂いが特徴的でした。
感想は…私たちの口には合いませんでした。

一方、写真の左側にあるラウラウは豚肉を「ティーリーフ」という葉っぱとタロイモの葉に包んで蒸し焼きにした物で、食べる時はタロイモの葉ごと肉を食べます。これはとてもおいしくて、みんな気に入りました。右側は、コナの佐々木さんのお宅でもごちそうになった「カルーアポーク」です。

この1日で、同じハワイでも全く違う風景や空気感を感じることができ、さらにハワイの文化について知ることができたと思います。

(リーダー 戸﨑 圭大)

9月11日(日)

この日は、真珠湾の海に沈んだアリゾナ号の真上に建てられた慰霊施設「アリゾナ記念館」を訪れる予定でした。
しかし、予約の方法が前日の午後3時から受け付ける方式しかなく、予約を取ろうとしたところ1分もたたないうちに売り切れてしまいました。
そのため、この日は一日フリーとなってしまいました。
日系移民への神道布教を目的に建てられた「ハワイ出雲大社」に行った人や、ハワイの文化を調査するためにワイキキビーチ周辺へ行った人など、何人かに分かれて行動しました。

私はビーチを見に行きました。
空と海の境界線が分からないぐらいきれいな青、ビルと大自然が隣り合う景観など、私が想像していた通りの「THE ハワイ」がここにありました。また、ビーチではいろんな人種の人たちが一緒にバレーを楽しんでおり、日本では感じられない人々のつながりを見ることができました。
また、これまで活動してきたハワイ島に比べて、日本語を話せる現地の人がたくさんいたことも印象的でした。

ビーチを歩いていると、とても立派なゲートがありました。
「ワイキキ ウォー メモリアル ナタトリウム」という、第一次大戦に従軍したハワイの兵士を称えるために建てられた、海水を引き込んだオリンピックサイズのプールだそうです。かつては使用されていたそうですが、今は閉鎖しており中までは見ることはできませんでした。
私はハワイの戦争の歴史は第二次世界大戦からだと思っていましたが、第一次世界大戦でも戦争に参加していたのだと知りました。
ハワイについて調べていたつもりでも知らなかったので、実際に行って自分の目で見るというのは改めて大事だと思いました。

(和田 健人)

9月12日(月)

今日は、ハワイ大学に留学されている本学教員の迫田先生と一緒に行動しました。
迫田先生は、ハワイについての質問に答えてくださったりプロジェクト活動のことについてアドバイスしてくださったりするなど、移動中などに一人ひとりと話をする時間を設けてくださいました。

パールハーバービジターセンター

今日こそアリゾナ記念館を訪れようと前日の午後3時にスタンバイしていたのですが、この日も1分せず売り切れてしまいました。
しかし、アリゾナ記念館の予約をしなくても見られる資料館が「パールハーバービジターセンター」にあったので、そこへ行ってきました。

資料館では、アメリカ側の視点で紹介されている第二次世界大戦を学ぶことができました。
館内にはシアタールームがあり、日本が行った「真珠湾攻撃」について15分くらいの動画を視聴しました。
私のイメージでは「奇襲を仕掛けた日本は卑怯で野蛮だ」というようにあまり良く思われていないのではないかと思っていましたが、「休日を狙らってくるなんて戦略的で賢い、一陣目の襲撃で基地を落とすなんてすごい」と、むしろ評価されていることに驚きました。
その一方で、そんな賢い日本にも私たちは勝ったのだと言っているように感じました。

また、日本の航空母艦や当時の日本人の暮らしや装いが模型を使って展示されていたり、当時の日本のニュースを見ることができたりと、戦争のこと以外にも事細かく日本のことが紹介されていました。

当時の本物の爆弾や、第二次世界大戦から湾岸戦争にかけて活躍しアメリカ最後の戦艦と呼ばれる「ミズーリ」を見たことで、写真では伝わることのない大きさと戦争の生々しい恐ろしさを肌で感じました。

最後にこのようなメッセージがありました。
この悲惨な大戦を二度と繰り返さないために歴史を継承することの重大さを再認識しました。

ビショップミュージアム

午後はハワイ州最大の博物館「ビショップミュージアム」へ向かい、ハワイの歴史について学びました。

建物の作りが映画「ナイトミュージアム」に出てくる博物館のようで、個人的にものすごくワクワクしました。
歴代のカメハメハ王家についての展示を筆頭に、ハワイ王国の歴史について様々なものが展示されていました。
実際に使われていた竪穴住居の展示や、クジラなどの生き物の模型などたくさんありました。

展示の中には日系移民に関する資料があり、「BANGO」と言うサトウキビ農園労働者のための識別タグの実物や1895年の日本人労働者の契約書など貴重な資料を見学しました。ハワイの歴史にとって移民の歴史は欠かせないものであることを感じました。

英語を読むのに時間がかかってしまい、すべて読むことができなかったので、英語力を上げてもう一度見に行きます。
ビショップミュージアムではハワイ王国の歴史、ポリネシア人の文化、移民について様々な情報を知ることができました。

こうして、ハワイでの活動最終日、充実した1日を過ごすことができました。

夕暮れには虹が現れ、活動最終日にハワイの美しいパワーを体感できて感無量でした。



今回の渡航では、日系移民の歴史を学んだりハワイの中高生と交流をしたりすることができ、非常に有意義なものになったと思います。
私たちは、広島とハワイの若者たちに「移民の歴史」を伝え、海外で何かを成し遂げるためのヒントを提供することで、彼らが勇気を持って海外に積極的に飛び出していくための第1歩を後押しすることを目指しています。
この貴重な経験を、これからの活動に必ず生かしていきます!

今回お世話になったすべての人に感謝をし、この渡航日記を締めさせていただきます。
「Mahalo nui loa!」

(和田 健人)