美しき人になりたく候 〜会津八一先生のこと〜



美しき人になりたく候 〜会津八一先生のこと〜

 秋艸道人 会津八一先生のことを知ったのは、大学一年の時であった。法学部に入学したものの、浮世の決め事に限界を感じ、もっと大きな世界のことを漠然と考えていた私に、会津先生のことを話してくださったのは、紀野一義先生であった。仏教的なものの見方、考え方を教えていただいた中で、会津先生のことをお話してくださった。その時の体の震えを今も記憶している。
 その後、会津八一全集を買い求めたり、会津先生のことについて書かれている本を集めてはいるが、この巨人の全貌は未だにつかみきれない。紀野先生からお聞きしたことをもとに会津先生のことを記してみたい。
 会津先生は早稲田大学で東洋美術史の講座を担当されていたが、巷間には、書家、歌人として有名である。その万葉ぶりの短歌は多くの歌碑となって、奈良のそこかしこに残されており、平易な平仮名で刻されていることから、若い人にも親しまれているようである。しかしながら、その署名、秋艸道人を「アキクサミチヒト」と読み、実名と思っているらしく「シュウソウドウジン」と読み、これが会津先生の号であることはほとんど理解されていないという笑えぬ話も伝わっている。しかし私にとって、大学一年の時、会津先生を知ったことは大きな意味があった。
 会津先生が早稲田中学の教頭先生をされていた頃のことを、小笠原忠氏が小説「鳩の橋」にまとめられているが、その一節に、会津先生が修身の担当でありながら、一度も修身の教科書に手を触れたことがなく、修身らしい話もしたことがなかった。あるクラスの組長が抗議したところ「大馬鹿もの」とどなりつけ「先生は先生の考えに従って授業をしている。教頭として持っている方針にさからうものは、退校だ。すぐに帰れ」と退校にしてしまったという事件が記されている。しばらくして退校は取り消され、夏休みになってから、その生徒の所に、奈良に旅行されている先生から手紙が届く。それには、
 修身を教えられるのは神様か仏様たちだけである。欠点だらけの自分には修身などというものを教える資格はない。職務上、受け持たなければならない自分は悩みつづけてゐる。そこでどうにかして、少しでも学生たちの心を豊かにし、未来のためになるよう念願して、あのような方針を編みだした。今でも、あの方針をよいと確信して変えるつもりは毛頭ない。君を叱ったことを後悔していない。しかし、奈良で朝な夕な仏様と一緒に暮らしていると、その仏様から自分の未熟を叱られているような気がして、恥ずかしく思っている。
と記されていた。夏休み前の定期試験には修身の試験もあったが「母に捧げる言葉」という題が出て、みんな満点であったという。
 そのような、型破りの会津先生を慕い、多くの学生たちが先生の下に集まってきた。その学生たちに先生は「学規」を書いて与えられたという。

 一 ふかくこの生を愛すべし
 一 かへりみて己を知るべし
 一 学芸を以て性を養ふべし
 一 日々新面目あるべし

の四ヶ条である。簡潔だが一つ一つ大きな力で学生に伝わってくる。これとて、会津先生は御自分のために書かれ、自分を警めるものとされていたというが、一人一人の学生のために、気を遣われていたことは言うまでもない。大泉博一郎氏宛の書簡が、全集の中に三通収められている。要約を引用する。

 文芸に志するものは誰しもいろいろの問題に悩さるヽものなり。それが普通のことなり。然るに我が門に来往する人々のさまをみるに、一種の「趣味家」のみにて多くは我が所謂「単一なる趣味」の人にあらず。浅薄なる享楽を以て文芸家の特権となし、また能事となすごときことにては、ほんとの趣味だというふことは一生涯かヽりてもわからず、況や一世を司導するほどの大趣味家にも大芸術家にもなれぬことは勿論なり。
(中略)深く強く激しく暗く悲しくも而も大なる道をゆく人の一人にても出でよ。(大正十二年十二月二十九日)(傍線筆者。以下同じ。)

 君らも追々成人の後には、専門の学術に於いても余技としての趣味に於いても、渾然として人格を体勢せらるべき御覚悟なかるべからず。
(中略)世上には人格の鮮やかなる人少なく候。人格の美しき尊き人は更に少なく候。ことに学者文芸家の間には最も稀なるが如く相見之候。依て拙者は自己の不肖は省みずして、せめて平素門下に交遊する諸君をして他日の大成の為、大に此点に注意を喚起いたしく存知居り候次第なり。(大正十三年一月二十七日)

 すべて落ちつきて仕事のすべてに一つづつに充分の力の入るやうに御勉強なされたく候。一生涯にて為したることの数は多からずともよし、その一つづつによく力をこめて静に進むべし。
(中略)人は八面多角にてもよし、一方一面一意一徹にてもよし、但しどちらにしても落ちつきて意思強く自重自敬自尊自恃なるべし、一方一面に貫徹すれば四方八面に目もひらけ来るものなれば、すべて下界からの刺戟誘引に目を閉ざして自分の志を重しとし、其志の赴く方へ全力を用ゐらるれば急がずとも自分として行くべきところ行き得るところまでは行けるなり
たヾし此落ちつくといふことは我等にても今尚ほむつかしきことの一つにて考へ居ることにて、折々おもひ出しては落ちつくやう落ちつくやうと心がけて居るありさまにて候へば、貴下の年配としてはむしろ当然とも考へられることながら、御同様気をつけて落ちつきて美しき人になりたく候。(大正十五年八月二十六日)
 このような手紙をいただかれた大泉氏の心中はいかがなものであったろうか。会津先生ご自身がまさしく「学規」の実践をされていることが容易に理解されよう。
 会津先生この時、四十四才。私自身この境涯にはとても至り得ないが、「学規」やこの手紙の内容に照らしつつ、自重自敬自尊自恃を旨として、一方一面にても貫徹できるよう、落ちついて、美しき人になりたく願っている。



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